SHORT STORY
『彼方を待ちて』01. ルージュ
「……それでは、失礼いたします」
電話を切ると朱色の髪の少女――ローズマリーは受話器を置いた。
今時レトロ風のデザインの電話機だが、古めかしい佇まいの洋館にはよく似合っていた。
「日下部……彰様……」
たった今聞いたばかりの名前を、唇の上で転がす。
話したのは今が初めて。その名を聞くのも同様だ。だが、不思議と耳に馴染む気がした。
戻したばかりの受話器を取り、内線の番号を押す。
「ローズマリーです。緊急でお話したい事がありますので、皆を集めて頂けませんか。……ええ。はい。最優先でお願いします。はい。ではラベンダー、よろしくお願いします」
再び受話器を置く。
それから数分もせずに、メイド長の部屋の扉がノックされた。
「つまり……お客様がいらっしゃるという事ですか?」
話を聞き終えた後、金髪のメイド……マリーゴールドが問いかける。
ローズマリーは頷くと、彼女に向けて言った。
「はい。日下部彰様には長期の滞在をお願いするつもりです。客室メイドであるあなたの負担は大きくなると思いますが、そのようにお願いいたします」
「かしこまりました」
「ふーん、お客様かぁ。食べ物の好みとかは聞いてないの?」
黒髪のメイド――ブラックリリーが問い掛ける。
容姿は最年少に見えるほどに若い。だが人は見かけによらないを地で行く少女であり、彼女を年下として扱う者はこの場にはいなかった。
「その辺りの事はこちらに来られてから伺う事になります。好みの範疇に限らずアレルギーをお持ちだった場合はあなたに対処をお願いする事になりますので、準備をお願いします」
「わかった。万が一があったら危ないしね」
「私は普段と同じでよろしいですか?」
菫色の髪をしたメイド……ラベンダーが言う。
彼女は洗濯メイドであり、清掃、洗濯、庭園の管理が仕事となっている。下働きにも似ているが、清掃や中庭は異変を察知しやすい場でもあり、警護の一端を任されていると言っても過言ではない。
「はい。ラベンダーは普段と大きく変わる事はないでしょう。ですがお客様がおられる事で何かと業務が増える事も事実です。手の空いた者が手助けに向かいますので、何かありましたら遠慮なく言って下さい」
「かしこまりました。メイド長」
それで連絡事項は終了となる。
「ではお客様がいらっしゃるまで、各自準備をお願いします」
それからの数日、紅葉館の空気は少しだけ浮足立っていた。
客を迎えるという事自体がそもそも無く、しかもそれが過去に縁があった人物の孫だという。
若い女たちだけが暮らす場所に、年若い男が来るというのも拍車をかけている。
唯一話した事のあるローズマリーに、どんな人だったかという質問が連日飛び込んできていた。
「……困りましたね……。何も知りませんと言っても誰も信じてくれませんし……」
話をしたことがあるのがローズマリーだけだから、その質問も当然と言える。特にマリーゴールドはどのようにおもてなしをしたら良いかと相談に来ており、人物像を知りたがっていた。
「調べられる範囲では調べてみましたが……」
緊急で取り寄せられる物など、公的な期間で手に入る資料だけだ。
そこには名前、住所、係累。現在の仕事と書かれている。
どれもこれも調べようと思えばすぐに知れる物だ。
ただその中に、見慣れない項目がある。
「職業、作家……ですか」
ローズマリーの身近にはいなかった職業だ。
彼女の人生を振り返っても、作家と知り合った経験はない。
「著作などを手に入れる事は出来るでしょうか?」
物書きとはその人生が書いた物に現れると聞いた事がある。
著作を手に入れる事が出来たら、メイド達からの質問にも答えられるかもしれない。
「百合子様……貴女のお孫様は、一体どういう方なのですか……?」
今はもう居ない人に問い掛ける。
当然彼女は答えてくれる事はなく――ただローズマリーのつぶやきだけが室内に籠っていた。
だが著作が出たのはだいぶ前のようで、地方の田舎町であるここの書店では手に入れる事が出来なかった。
ネットショッピングならと言われたが、インターネットに詳しくないローズマリーには難しい相談である。
「どなたかにお願いをしましょうか……? それとも、いっそご本人に伺った方が良いのかもしれません」
紅葉館を訪れる客。それから旧知の知り合いの孫という事でどうしても人となりが気になってしまう。
――思えば、こうして人を待つ事で心が浮き立つというのも、久々の経験かもしれなかった。
「日下部様……あなたは一体どのようなお方なのですか?」
わずか数日とはいえ、待つ時間というのは長く感じてしまう。
それは他のメイド達も同じようで、紅葉館には今はこうした浮ついた空気が漂っている。
想像した人物ならそれでいい。
けれど、もし――。
――自分たちを受け入れてくれる人物ならば。
もしそうだったのならば。
その時は……。
「あなたのお越しを、お待ちしております。日下部様……」
待つとは思いを重ねるのに似ている。
そしていない人物を想像しながら待ち焦がれる気持ちは……。
「お会いしたいです。日下部様。一体どのようなお話を聞かせてくれるのでしょう。百合子様の事。あなた様の事」
来訪の日を待ち焦がれる。
長らく停滞していた紅葉館の時間を動かす時を。時計の針が進む日を。
その時を、ローズマリーは待っている。