SHORT STORY

『彼方を待ちて』02. クロユリ

ブラックリリー編1

――お客様が来る。

その事はブラックリリーに鮮烈な驚きをもたらした。
館の生活は安定している。
日々の生活は同じ事の繰り返しであり、作る料理のバリエーションもここしばらくは増えていない。

館の料理メイドとしていかがなものかとは思うのだが、何か特別な切っ掛けが無いので増やす意味も感じられなかった。

「お客様……」

ブラックリリー編2

そこにきて、今回の話である。
ブラックリリーの胸の内に小さな火が灯ったのは言うまでも無い話だった。

「だーかーらー。少しでも知りたいの! どんな感じだったとか、性格とか。そういう情報を本当に少しでも!」
「そのような事を言われましても、私も電話口でお話しただけですから……」

ブラックリリー編3

メイド長であるローズマリーは、ブラックリリーの言葉に頭を抱える。
ブラックリリーとしては、少しでも知りたいだけなのだ。
例えば『優しそう』という情報があれば、相手はこちらに対していきなり波風を立てる性格ではない事が推測できる。

その場合は初日から食べ慣れていないであろう海外の料理を出す事も考えられる。

だが『生真面目で神経質そう』という感じであったのなら、初日に出す料理は定番の物の方がいいだろう。
慣れない環境に身を置いて、更には食べなれていない料理ではストレスの原因となってしまう。

ブラックリリー編4

そのためブラックリリーは追及の手を緩めない。
これを知る事が『お客様』に対する最大のおもてなしであると判断するがゆえにだ。

「直接話をしたのはローズマリーだけなんだよ? だから思ったことを素直に言ってくれればいいの」
「……本当に少しだけだというのに……不確定な推測は何も知らないよりタチが悪いという事もありますよ?」
「何も知らないよりは少しでも手掛かりがあった方が良いと言う事もね。それで、どうだったの?」
「……真面目そうな方……ではありました。言葉の端々から理性を感じられましたし。お優しい人ではあるのは間違いないでしょう」
「なんだかはっきりしない言い方。他には?」

「ここからはなんのあてもない、本当に私の推察になりますよ?」
「つまり情報元は無いけれど事実って事ね。それで?」

ブラックリリー編5

「少し……物事を客観視して見られる方のように思いました。祖母の訃報という重大事でありながら、あまり感情を表に出していなかったのです」
「自制が効いている人というだけなんじゃないの? あるいは百合子……おばあさんと仲が悪かったとか」
「仲が悪いならば、そもそも連絡など致しませんよ。故人が残した手紙など捨てても何も変わらないのですから」
「それもそうだね」

「届けて頂けるというなら、最大限のおもてなしをするだけです。ブラックリリーはその点どうぞよろしくお願いします」

ローズマリー編6

「まぁアレルギーについては気を付けるけれど」
「……けれど?」

珍しく歯切れの悪いブラックリリーの言葉に、ローズマリーは首を傾げる。

「一緒にご飯を食べてくれる人だと思う?」

ブラックリリー編7

「それは……私にも分かりかねます。ですが、そういう方でしたらこれ以上ない喜びです」
「そういう人であることを期待しようか。期待するだけならタダだし、何より当たった時が嬉しいものね」
「そうですね……私もそう思います」

ローズマリーとのやり取りのあとから、ブラックリリーの生活に日課が加わった。
料理のレパートリーを増やす事だ。

ブラックリリー編8

彼女は見聞きしたレシピならば大体再現が出来る。
一度しか食べていない料理であっても、その舌で味わったのならば配分までほぼ確実に見抜く事が出来た。

そんな彼女だが、料理のレパートリーが増えたとしても、劇的に変わる訳ではない。
作るのは彼女自身だし、何より必要不可欠な素材があった場合は作成が困難になる。

では何のレシピを増やしているのかというと、日本のごく当たり前の家庭料理だった。

ご飯、味噌汁、焼き魚。あるいは肉料理……。
それらは水の分量、焼き加減、塩加減を変えただけで装いが変わっていく。
「……うん、これも美味しい。でも……どうだろうなぁ」

ブラックリリー編9

百合子という存在を思い出す。
今はもう亡くなってしまった、日下部彰の祖母だ。
彼女に育てられたのならば、食べなれた味があるはずだ。それを上手く再現出来た方がきっと喜んでくれるだろう。

「…………」

思えば料理とは不思議なものだ。
同じものを同じだけ作ったとしても、作る人によってその姿が変わる。

ブラックリリーは以前に言われた事がある。

『美味しいっていうのがどういう事なのか教えてあげる』

ブラックリリー編10

あの時は興味が無くて聞き流していた。
しかし今は、興味を持って味の研究に取り組んでいる。

「ま、美味しい物を食べて怒る人もいないしね」

一つまみの塩で姿を変えるのだから、本当に不思議なものだ。

そう思いながら、彼女は来るべき人を想像し、新たな研究を重ねている。

ブラックリリー編11