dandelion Record
『あかときっ!−夢こそまされ恋の魔砲−』参加中

















 ぼこぼこと泡立つ大量のチョコレート……もとい、謎の物質。
 既に茶色を脱し、なぜか紫色に変色しつつある何かが鍋の中で煮え立っている。
 完全に風味が飛んでいるにも関わらず、寮内には説明不能の刺激臭が充満していた。
 最初は回っていた換気扇もぴたりと止まり、真っ白だったフィルターはまだら模様に変化している。

「なぜでしょうか? レシピに書かれていた出来栄えと違っています……」
 私は大鍋を掻き混ぜるために長細いすりこぎを手にし、ぐるぐると休みなく掻き混ぜていた。
 手頃なエプロンがないという理由で真っ黒なコートを着て、付属のフードまで被っている。
 傍目から見れば現代の魔女そのものだが、服を汚さないためには必要だった。

(もしかして、手順を間違っていたのでしょうか? ですが、何度も確認したので間違いは……)
 念のため、テーブルに置いたレシピを読み直してみるが、特に問題はない。
 我が寮の台所番の素晴らしさに感心し、自分の至らなさを改めて反省する。

 ぐつぐつと煮えたぎり、時間が経つ度に色が変化する液体。
 レシピ通りの時間ではないものの、1度火を止めて様子を窺う。

「味は普通だと思うのですが、試しに味見を――」

 ガチャリと音を立てて、寮の玄関から聞こえる足音。
 私はコートを元の場所に掛け直して出迎えようとするが、その前にこちらまで現れる。

「たっだいまー! 誰かいな……はっ、はっくしょん! うぅ……さぶい……」
 寮に戻ってきたのは流様。
 風邪を引いているのか、ぶるりと身体を震わせて鼻をかんだ。そのまま気だるそうにソファーに倒れて寝
 転がる。
「お疲れさまです。今は私しかおりませんが……体調を崩されたのですか?」
「暖房を効かせたまま、ソファーで寝たのが原因みたい……あー、鼻が利かなくて、全然匂いが分かんな
 い……」

 面倒くさそうに唸る流様を目にして、私は台所まで早足で戻った。
 ぬるま湯をコップに入れて、食事を取らなくても飲める風邪薬を持ってくる。
「こちらをどうぞ。少しだけ楽になると思います」
「ありがと。食欲がないから助かるけど……ん? なに? この匂い」
 何の匂いかは分からないのか、くんくんと鼻を鳴らして確かめようとしている。
「明日のために用意するチョコレートです。誰もいないので、今の内に用意させていただこうかと……」
「明日? えーと、明日は確か……2月14日……あ、バレンタイン!?」
 その単語を口にした途端、がばっと起き上がる流様。
 キラキラと眼を輝かせて、無邪気な子供みたいに興味を持つ。

「もしかして、真悠人くんに? もしかしなくても、真悠人くんよね?」
「皆様にも贈らせていただきます。もちろん、流様にも用意いたします」
「嬉しいことを言ってくれるじゃない。お姉さん、感動で涙が……はっくしょん! は、鼻水が出た……」
 一瞬で満開になった花びらが急速に萎んでいく。
 風邪薬はなんとか飲んだものの、そのまま自分の使命を終えたように倒れ込んだ。
 意味不明な呻き声を漏らしつつ、ぶつぶつと風邪の特効薬を開発しない研究者に怨嗟の声をあげる。

「今日はお休みになられた方がいいと思います。部屋まで運びましょうか?」
「んーでも、何かお腹に入れたいのよね。昨日もほとんど食べて……そうだ! 1日早いけど、凛子のチョコ
 レートを食べさせてくれない? それとも、真悠人くんが一番最初?」
「私は構いませんが、味見もまだ済ませていないので……」
「いいのいいの。凛子の手作りなら美味しいに決まってるから」
 特に根拠がない理由を口にしながら、流様はソファーの肘掛けにアゴを乗せた。
 期待に満ちあふれた表情でこちらを見上げて、雛鳥のように自分の口に運ばれるまで待っている。
 気怠さが幼児退行を起こしているためか、自分を繕おうとする気はないようだ。

「分かりました。小皿に入れてきますので、少しだけお待ちください」
 私は拒否権がないと判断して、数拍の間を置いた後に頷いた。
 早く休んでもらうために小走りで台所まで戻り、大鍋の中身を確認する。

 いつの間にか、さっきまで変色していた液体が素材そのものの色に戻っている。
 時間を置いたおかげでとろみまで出ており、見るからに美味しそうだ。

(これなら問題なさそうですが、念のために確認を……)
 スプーンでチョコレートをひとすくい。一舐めして味を確認する。



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