11月7日。 死者8万人弱を出した、未曾有の大災害が起こった。 僕、日野昭正の父、日野輝政が月長町での鎮魂祭を提案したのは、世界的に有名になった父がこの町の出身で今もこの町を愛しているから、だそうだ。 ジャズミュージシャンという職業柄「音楽葬」と言う形に、開催がお盆の時期になったのは、いかにも父らしい。 地元の学校のブラスバンドを使いたい、という意向で、僕たち東堂館学園の吹奏楽部に白羽の矢が立ったのである。 土曜日の昼下がり。 練習が終わり、みんなが帰り支度をしている。 「日野君、ちょっと時間あるかな?」そんな中、草壁先輩が声をかけてきた。 「へっ!?」思わず、すっとんきょうな声を出してしまう。 「上手く吹けないフレーズがあって、もう少し練習したいから付き合って欲しいんだけど。」 一瞬、デートのお誘いと勘違いした自分が恥ずかしい。 「あっ…。もちろんいいですよ。僕でよければ」 「それじゃあ、よろしくお願いします、先生」笑顔を僕に向けつつ、草壁先輩は言った。 音楽に真面目に取り組む先輩の姿勢は、吹奏楽部員のみんなが尊敬している。僕もその一人だ。 「今の演奏、どうかな?」先輩が、僕に尋ねる。 「ものすごく良かったですよ」少しオーバー気味に、僕が答える。「先輩が気にしてたフレーズも、きちんと出来てましたし」 「本当? 日野君に言ってもらえると嬉しいな」草壁先輩が言った。「この感覚忘れたくないから、もう一回吹いてみるね」 音楽葬の練習に入ってから、先輩は何かに取り憑かれたのようにトランペットの音に命を吹き込んでいる。その気迫には、プロである僕でさえ圧倒されそうだ。そして、その音色は包み込むような暖かさがある。 今、演奏をしている草壁先輩は、まるで降臨した女神のように綺麗だった。 「先輩、好きです。付き合ってください」やっと胸に秘めた想いを出す事ができた。 練習が終わった後のおしゃべり。ふと間が空いた瞬間、唐突に切り出した。 草壁先輩は、驚いたような顔をした。当然だと思う。急に言われたら、誰でも驚くだろう。 「ありがと」驚いた顔はすぐに消え、いつもの笑顔で先輩は言った。「でもね、その気持ちに応えてあげられない」 「えっ…」 「私、好きな人がいるの。一年半、ずっと想い続けてる。その人と出会えたから、今の私がいるんだ」今まで聞いた事が無い、草壁先輩の力強い口調だった。 「トランペットや日野君に出会えたのも、右手がこうなっちゃったのも、全部その人のおかげ」そう言って、先輩は右手を大きく開いて動かす。薬指がぎこちなく動いていた。 「そうなんですか…」 「うん。今は、どこにいるかわからないんだけどね」 僕は、一瞬言葉に詰まってしまった。 「私、弱い子だから、次の恋に進めないんだ。前の恋をずっと引きずっちゃう」 それは違う。この言葉には、即答できる。 会えないかもしれない相手を想い続けること。これは、強い人間にしかできないはず。 「先輩の好きな人って、どんな人なんですか?」僕の初恋をあっさりと壊した人のこと、少し知りたくなった。 「えっとね。背が高くて、優しくて、そして、ちょっとエッチな人」 最後の言葉が気になったけど、まあいい。僕は、おもむろにトランペットを構えた。 「あ、何か演奏してくれるんだ」 「はい、僕が一番好きなジャズの曲を」 演奏しようとしているのは、「My funny Valentine」愛しい人の前で演奏するのにはピッタリの曲だ。